競馬2000年代を彩った名馬「ダンスインザムード」

競馬2000年代を彩った名馬「ダンスインザムード」とは

黒光りする馬体に額の流線が美しい「ダンスインザムード」。主にマイル戦で活躍をした名牝馬です。

生年月日は2001年4月10日、父は数々の名馬を輩出している「サンデーサイレンス」、母は「ダンシングキー」、母の父はアイルランドの大種牡馬「ノーザンダンサー」の二代目産駒「ニジンスキー」です。

馬主は社台レースホースで生産牧場は社台ファーム、美浦の藤沢和雄さんが調教師という恵まれた環境で育ち、2003年12月の新馬戦で6馬身という圧倒的大差をつけて優勝すると、続くオープン戦、G3戦も順当に勝ちあがったダンスインザムードは、多くの競馬予想が大本命、当日のオッズも一番人気というプレッシャーの中でG1桜花賞に挑み、武豊騎手とのコンビで見事優勝を飾ります。

このレースで関東馬が優勝したのは18年ぶりとなる快挙でした。この年は、他のG1優勝はないものの、3歳牝馬としては異例のアメリカ遠征(2着)や秋の天皇賞、マイルチャンピオンシップで好走し、JRA賞最優秀3歳牝馬に選ばれました。

翌年は気性もあって、なかなか掲示板にのれない競馬が続き、厩舎、騎手とも試行錯誤を繰り返しますが、秋のレースから少しずつ勢いを取り戻し、明けて2006年にはその年創設されたG1ヴィクトリアマイルで優勝、初代女王となりました。

12月、香港マイル(G1)を最後に惜しまれながら引退しましたが、その年のJRA最優秀4歳以上牝馬に選ばれています。この年は、同い年のマイラー「ダイワメジャー」と数々の勝負を繰り広げ、ファンを喜ばせました。
通算成績は25戦6勝で、そのうち海外成績は4戦1勝です。

主な勝ち鞍は、2004年のG1桜花賞、2006年のG1ヴィクトリアマイル、同じく2006年の米G3キャッシュコールマイル招待ステークスなどで、現在は社台ファームに戻って繁殖牝馬として生活しています。これからは、産駒の活躍が期待されます。

競馬2000年代を彩った名馬「アドマイヤムーン」

競馬2000年代を彩った名馬「アドマイヤムーン」とは

日本の競馬界では、中央競馬を中心として、これまでに数多くの名馬が登場してきました。その歴史の中でも比較的記憶に新しい名馬の一頭が、2000年代に大きな輝きを放ち、競馬予想においてもよくその名が優勝候補として挙げられたアドマイヤムーンです。

アドマイヤムーンは国内の重賞レースだけではなく、ドバイのレースでも優勝したことがある馬です。それにちなんで付けられた、「世界が見上げた月」というキャッチコピーを記憶している人もいるのではないでしょうか。

アドマイヤムーンの生年月日は2003年2月23日で、父はアメリカ出身のエンドスウィープ、母はサンデーサイレンス産駒のマイケイティーズです。生産牧場はこれまでに数多くの名馬を世に送り出してきたノーザンファームで、その素晴らしい実績の原動力となったのは、アドマイヤムーンの母の父である種牡馬、サンデーサイレンスの功績だと言えるでしょう。

サンデーサイレンスの血統を引く馬には優れた能力を発揮するものが多いのですが、その孫世代の代表的な存在がアドマイヤムーンです。その馬主は近藤利一氏から、2007年にダーレー・ジャパンへと交代していますが、調教師は松田博資氏が馬主交代後もそのまま務めました。

アドマイヤムーンの通算成績は17戦10勝で、そのうち海外のレースについては3戦1勝となっています。主な勝ち鞍は2005年の札幌2歳ステークス、2006年の弥生賞と札幌記念、そして年度代表馬に選ばれた年である2007年の宝塚記念、天皇賞(秋)などです。

そして日本の競馬ファンにとって特に忘れられないレースは、2007年のドバイデューティーフリーでしょう。悲願のG1初制覇が世界中から強豪馬が集うドバイのレースという、とてもドラマチックな勝利となったからです。

競馬2000年代を彩った名馬「ウオッカ」

競馬2000年代を彩った名馬「ウオッカ」とは

64年ぶりに勝利を収めるなど通算で7勝もの快挙を成し遂げ、ファンやマスコミから史上最強馬と呼ばれ人気が高かったのがウオッカです。

生年月日は2004年4月4日であり、競走馬を育成する生産牧場として唯一無二の北海道静内町で誕生しました。
父と母も同じく競馬予想では大人気を収める名馬であり、2頭のDNAを紛れもなく引き継いでいると感じられる走りを披露してくれ大変優秀な成績を収め続けました。

馬主は日本の実業家として名高い男性であり、関西や九州においてゴルフ場などを経営している会社の元代表取締役会長です。

馬主は親子ともどもかねてより競馬との関係が深く、父の跡継ぎという形で牧場の代表者_x0008_になった上でブリーダーとしても活動した経歴があります。

そういった経歴を持ち、優秀な通算成績を記録したのは調教師の腕が非常に大きく関係しています。

ウオッカに携わった調教師は2000年に調教師免許を取得した後、2005年から2014年までの間に何度も複数の賞を受賞している名誉ある方です。

そのような馬主と調教師からなるウオッカは、26戦10勝という通算成績を収めて第一線を退きました。

獲得した総額は13億円を超え、ドバイにおいても2800万円以上の賞金を獲得した成績があります。

もちろん、一着になったレースの数も必然的に多くなり、主な勝ち鞍は2006年に阪神で行われた大会や2007年の日本ダービーなどです。

現在は引退してしまったものの、DNAを残すために交配が行われ2010年に無事に子孫を残すことに成功したと発表されました。

生まれてきた仔馬は体重が560キロもあり、規格外の大きさであると注目を集め、早くも今後に注目が集まっています。

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競馬2000年代を彩った名馬「ダイワスカーレット」

競馬2000年代を彩った名馬「ダイワスカーレット」とは

ダイワスカーレットの通算成績は12戦8勝2着4回と、パーフェクト連対を誇る競馬予想の立てやすい馬でした。2着までに入ることは分かっているので、馬連で流せば当たるからです。もちろん彼女が来たら配当が安いので、来ないことを期待して賭ける方もたくさんいましたが、結局来てしまい穴党の期待を裏切り続けたのです。
 
ダイワスカーレットの生年月日は2004年5月13日で、父アグネスタキオン・母スカーレットブーケという超良血で、生産牧場は社台ファームです。馬主はダイワが冠名の大城敬三氏で、栗東の松田国英調教師に預けられました。
ダイワスカーレットと言えば、最大のライバルがウォッカです。

ウォッカは2歳牝馬のチャンピオンホースで、3歳春までは圧倒的に人気がありました。その評価が一変したのが桜花賞でした。3番人気で挑んだ桜花賞は、主戦ジョッキーの安藤勝己の芸術的なケツブロックが炸裂し、ウォッカの猛追を凌いだと今でも語りぐさとなっています。

また翌年の天皇賞秋では約7ヶ月ぶりのぶっつけ本番の出走にも関わらず、ウォッカと2cm差と言われる死闘を繰り広げ、ファンの記憶に今でも鮮明に残っています。ちなみに勝ちを確信したダイワスカーレット陣営は、1着馬が入る場所にダイワスカーレットを誘導し、その後ウォッカが勝っていたという苦い経験があります。

これがぶっつけ本番でなければおそらくダイワスカーレットの方が勝っていたでしょう。父のアグネスタキオンの血を濃く受け継いたためが、体の弱さまで受け継いでしまいます。主な勝ち鞍は桜花賞と秋華賞、エリザベス女王杯と、牝馬のレース以外は有馬記念だけでした。無事に使えていればオークスや宝塚記念、ジャパンカップなども勝てたのではないかと、残念に思うファンも多いのです。

競馬2000年代を彩った名馬「ディープインパクト」

競馬2000年代を彩った名馬「ディープインパクト」とは

ディープインパクトという、競馬ファンならずともその知名度により、馬名だけは知ってるという方は多いのではないでしょうか。日本における史上6頭目の中央競馬クラシック三冠馬であり、尚且つ無敗での達成という偉業を成し遂げた名馬です。

あまりの強さに、競馬予想など要らないのではないかというほどの単勝オッズの低さが有名でした。以下がプロフィールとなり、生年月日は2002年3月25日、馬主は金子真人ホールディングス。

父はサンデーサイレンス、母はウインドインハーヘア。調教師は池江泰郎で、生産牧場はノーザンファーム。主戦騎手は武豊で、武豊はディープインパクトのデビューから引退まで騎乗していました。通算成績は14戦12勝。

主な勝ち鞍は日本ダービー、ジャパンカップという具合です。ディープインパクトは当初、7000万円という落札価格で購入されました。サンデーサイレンスを父とする馬としてはそれほど高い値ではありませんでしたが、新馬戦からその高い能力を発揮し、一躍人気馬となりました。

無敗で三冠を達成した後、有馬記念と凱旋門賞では敗れましたが、短い現役においてGIを7つも勝利する名馬でした。また、現役時代には様々な過去のレコードを塗り替え、その圧倒的な強さから、他の馬からは生まれた時代が悪すぎたということまで言われました。現役引退後は種牡馬としても活躍し、重賞を勝利する産駒馬が非常に多くいます。

現役時代はその圧倒的な強さから抜群の知名度を誇り、戦績だけでなく2006年の芝部門、長距離部門で世界ランキング1位を獲得。引退後は種牡馬のリーディングサイアーでは1位の座に君臨する、日本はおろか世界からも注目される名馬となっています。

競馬2000年代を彩った名馬「ゼンノロブロイ」

競馬2000年代を彩った名馬「ゼンノロブロイ」とは

2004年に年間を通じて最も活躍した競走馬を集めて開催される賞の代表に選出され、引退後してからは種牡馬として次世代のサラブレッドを生み出すことに尽力しているのがゼンノロブロイです。

特徴的な名前は18世紀にスコットランドにて実在していた英雄と冠名を合わせたものであり、初代馬主は地図を手がける会社の社長でしたがその後は他者に変更になりました。

2000年3月27日に生年月日が登録されており、父がサンデーサイレンスで母がローミンレイチェルです。

父はアメリカで誕生し世界に名を知らしめた有名な競走馬であった上に、成績が認められ1996年にはアメリカの競馬業界において殿堂入りされたほどです。

サラブレッドの中でも特に毛色が黒かったため、地味な印象に認識されることも多かったのですが、速く走る様子とのギャップが人気を集めクールな馬として人気がありました。

ゼンノロブロイも毛色の黒さを引き継いでおり、スタート直前やレース中は他の競走馬に比べて貫禄を感じさせるほどです。

生産牧場は国内屈指の生産率を誇る北海道であり、中でも評価が高い白老町にある白老ファームです。

成績に直接的な関わりを持つ調教師は1995年から2009年に11度も最多勝利調教師賞を受賞した方が担当し、出身地が生産牧場に近い北海道苫小牧市であったことから相性が良かったです。

通算成績が20戦7勝ということもあり、競馬予想に迷った時にはゼンノロブロイに賭けておけば間違いないと考えられていたほどファンから頼りにされていた側面もあります。

主な勝ち鞍はやはりJRAでの大会という事になり、注目度が高いイベントでしっかりと成績を残すことができるため、人々の思い出にも色濃く残りました。

競馬2000年代を彩った名馬「アグネスデジタル」

競馬2000年代を彩った名馬「アグネスデジタル」とは

アグネスデジタルは中央競馬、地方競馬、海外競馬、芝、ダートどの場所でもG1を制覇し、息の長い活躍を見せた日本が誇る最強のオールラウンダーとしても大変有名です。生年月日は1997年5月15日、アメリカの生産牧場で生まれました。父はアメリカで7勝したクラフティプロスペクター、母は北米で1勝したチャンシースクウォーという血統であり、細身で小柄だったことから、現地でもあまり評判の高い馬ではありませんでした。馬主はダービーオーナーにもなったことのある渡辺孝男さんで、調教師はアグネスデジタルを実際に選び、馬主にも薦めた白井寿昭調教師でした。

ダート競馬で実績を挙げていた両親の影響もあり、ダート戦線で活躍をはじめ、2歳ダートの頂点を決める全日本3歳優駿で優勝する活躍を見せます。その後、NHKマイルカップに参戦するなど芝での活躍を狙ったものの、線が細かった頃もあり、思った活躍が見せることができず、再びダート路線に切り替え、地方中央の重賞を勝っていました。ただ、長い距離があまり向いておらず、このままジャパンカップダートに進んでも苦戦は必至ということ、線の細さは解消されていたこともあり、芝のマイルチャンピオンシップに出走を決め、13番人気という低評価を跳ね除け、なんと優勝してしまいました。

主な勝ち鞍としては、2000年のマイルチャンピオンシップ、2001年のマイルチャンピオンシップ南部杯、天皇賞秋、香港カップ、2002年のフェブラリーステークス、2003年の安田記念となっており、通算成績は32戦12勝でした。競馬の常識を覆し、逆境を跳ね除けてきた名馬であり、競馬予想をする上で多くの人が泣かされてきた馬でもありました。

競馬2000年代を彩った名馬「シンボリクリスエス」

競馬2000年代を彩った名馬「シンボリクリスエス」とは

競馬予想においてシンボリクリスエスは有り難い存在でした。なぜなら勝つのは当たり前で、2着馬を予想すればいいだけだったからです。たまにポカもありましたが、それがステップレースを使わない藤沢和雄調教師の藤沢流の調整法です。

シンボリクリスエスの生年月日は1999年1月21日で、父クリスエス・母ティーケイの血統で、生産牧場はアメリカのミルリッジファームです。馬主はシンボリ牧場で、代表の和田孝弘氏が母ティーケイを30万ドルで落札し、ミルリッジファームに預けられ誕生したのがシンボリクリスエスです。そんな和田孝弘氏の執念が実ったのが、シンボリクリスエスなのです。

シンボリクリスエスは、ダービーを目標にしたゆったりとしたローテーションで使われていきました。青葉賞でようやく重賞に挑戦し快勝した後、ダービーへ駒を進めました。直線では一旦先頭に立つも、交わされたのが青葉賞で乗っていた武豊のタニノギムレットでした。

ひと夏越した秋からのシンボリクリスエスの急成長ぶりは凄まじいものがありました。神戸新聞杯を快勝後は菊花賞には進まず、天皇賞秋へ出走し、3番人気に支持され快勝したのです。続くジャパンカップでは1番人気に支持されるも僅差の3着に敗れましたが、有馬記念では快勝し、年度代表馬に選出されました。

翌年は宝塚記念から始動しましたが、圧倒的1番人気を裏切りまさかの5着に敗れたのです。秋初戦はまたもぶっつけ本番で天皇賞秋に挑み、ペリエ騎乗で1番人気に応えました。続くジャパンカップでは前年同様3着に敗れ、引退レースとなった有馬記念では1番人気に応えレコードで快勝したのです。この年も年度代表馬に選出され、この時代の最強馬として認知されたのです。

通算成績は15戦8勝で、主な勝ち鞍は天皇賞秋2回と有馬記念2回、青葉賞、神戸新聞杯です。馬券外となったのはたった1回で、本当に軸馬として有り難い存在でした。

競馬2000年代を彩った名馬「ジャングルポケット」

競馬2000年代を彩った名馬「ジャングルポケット」とは

競馬予想においてその名が聞こえてくると誰もが笑顔になるのが日本の競走馬として大活躍したジャングルポケットです。

生年月日が1998年5月7日のジャングルポケットは、通算成績も去ることながら馬名がとても特徴的に感じられますが、当時の子供向け教育番組で度々歌われていた楽曲が由来になっています。

父は1983年4月7日にアイルランドで生誕した競走馬であり、イタリアを中心に活躍し通算成績は27戦15勝という驚異的な数字を記録しました。

そういった父と母の能力をしっかりと受け継ぎ、13戦5勝という通算成績を記録し獲得した賞金の総額は7億円を突破し、多くのファンを魅了し愛されました。

馬主は途中段階で一度変更しており、初代は東京都中央区に拠点がある証券会社の元代表取締役会長兼社長の男性です。

競走馬に対する知識が深く、他にも5頭もの所有馬がおり全てにおいて良い成績を記録しています。

ただし、途中で乗馬の文化の普及を目指した施設をプロデュースしたことで有名な創業者に馬主が変更となっています。

そして、馬の性格や技量を大きく左右するのが調教師ですが、これまでに数多くの馬を調教してきた方が担当し、欠点を無くしつつ長所を伸ばしていきました。

しかも、調教師はベテランでノウハウやテクニックを有していたことから、2001年度には他にも競馬予想での常連を育てていたほどです。

こうしたジャングルポケットの生産牧場は北海道の早来町であったことから、2歳の時に迎えたデビュー戦は札幌競馬場にある芝のコースでした。

当時から他を圧倒する走りを見せつけたことから将来性の高さが確信されており、主な勝ち鞍にもなった東京ダービーでは会場にどよめきが起こりました。

競馬2000年代を彩った名馬「テイエムオペラオー」

競馬2000年代を彩った名馬「テイエムオペラオー」とは

競馬の歴史の中には、名馬としてその名をととろかせた馬がたくさんいました。そういった馬は競馬予想の世界でも、常に優勝候補に名前が挙がり、その走りには多くの競馬ファンが熱い視線を送ります。テイエムオペラオーはそういった競馬の歴史の中で、2000年代を彩った名馬として多くの競馬ファンの記憶に残る存在です。

テイエムオペラオーの生年月日は1996年3月13日で、父はイギリスの競走馬のオペラハウス、母はワンスウエドです。オペラハウスはキングジョージなどのGIで三勝を挙げたことのある実力者でした。テイエムオペラオーはオペラハウスにとって、種牡馬となって二年目の産駒なのですが、その産駒の中で最も名の知られた存在だと言えるでしょう。

テイエムオペラオーの生産牧場は杵臼牧場で、馬主は「テイエム」の名が付いた競走馬を数多く所有してきた実業家の竹園正繼氏です。その「テイエム」とは、彼が創業したテイエム技研という会社名に由来しています。彼はセリ市においてスタート価格の約1000万円でこのテイエムオペラオーを手に入れたのですが、それほど安く買われた馬が、後に18億円以上もの賞金を手に入れる名馬に成長したのです。

テイエムオペラオーの調教師は岩元市三で、彼は騎手時代に日本ダービーの優勝経験を持つ人物です。彼はテイエムオペラオーが大活躍した2000年度にはJRA賞最多賞金獲得調教師となっています。

テイエムオペラオーの通算成績は26戦14勝で、主な勝ち鞍は1999年の皐月賞、2000年の天皇賞(春)、天皇賞(秋)、宝塚記念、ジャパンカップ、有馬記念、2001年の天皇賞(春)などです。そのように2000年は大きなレースでの勝利が目立つ年で、年度代表馬にも選ばれました。